おとなチャレンジ

やりたいことをやりたいように。総合職二児ワーママの仕事、こどもの教育、趣味との試行錯誤ブログ。

朝にももを剥きたい子どもと、自分の発言には責任を持とうという話

朝7:35。
朝のデザートに、私が用意した桃を食べた子どもが、「もう一個食べたい」と言い出した。

もうないよ、とは言えなかった。
桃がふたつあることは、すでに今朝冷蔵庫の野菜室をチェックしていた子どもにはバレていたからだ。

私は出社のため8時過ぎには出なければならない。
まだ着替えも化粧もできておらず、髪もぼさぼさ。
さらには子どもの登園準備もできておらず、バタバタと部屋を駆け回っているところだった。
1分1秒を争うこの事態に、手伝うことはできない。

子どもは父親と一緒に8時半ごろに出る予定になっていた。
でもまだパジャマのまま。手を洗って顔を洗って、制服も着なければならない。

私は「自分で全部できるなら、いいよ」と思わず言った。
言ってしまった。
子どもには、桃の皮をむいた経験があった。
ひとつめの桃を剥いた時に、とても皮が剝きやすい桃になっていると知っていた。
だから、もしかしたらできるのではないか、という期待があった。
でもそれがすべてではない。
心の底では、『これを聞いて子どもが“できない”と言ったら、じゃあ今は諦めよう、と伝えよう』と思っていた。
打算。やれるものならやってみろ、という上から目線。忙しかったのもあって、若干投げやりだったかもしれない。

これに対して、子どもは「うん!」と目を輝かせた。
そして冷蔵庫に駆けていき、桃を取り出した。
しまった。
そう思っても、もう遅い。
子どもはやる気になった。
一緒に食卓にいた父親が慌てて、「お父さんの分をあげるから、その桃は次にしよう」と伝えたが、「いやだ、これがいい」と離さない。
“言ったんだから責任をもってくれ…”という父親からの視線を態度を感じつつ、私は腹をくくった。

「洗って、皮を剥くところまでは、本当に全部自分でやるんだよ。切るのはお母さんとしよう」と言うと、「うん!」といい返事。
じゃあ洗おうとやる気になったものの、シンクの前に自分が立つための台(椅子)を運ぶために持っている桃が邪魔になったらしく、「持って」と一言。
いやいや、自分でやるんだよ。
そう伝えると、少し考えて、動き出した。

桃を調理台に置き、シンクの前に椅子を持ってきて、椅子によじ登る。
水栓のバーを動かして、水を出し、桃を洗い、水を止める。
桃をもう一度調理台に置き、椅子から降りて、タオルで手を拭く。
調理台の上の桃を持ち、食卓まで持ってくる。
まな板(これは取りにくいところにあったので、親が用意)の上で、桃の皮をむき、剥いた皮は別の食器(既に朝ご飯を食べ終わった後のお皿)の上に置く。

ここまで、まな板以外は全部ひとりでやりきった。
すこし皮が残っていたけれど、ほとんどキレイに剥けていた。
そのあと、子ども用の安全包丁で、私と一緒に切る作業をした。
まな板の上には、4つの大きな塊と、主に種(プラス少し実)の部分ができた。

子どもは、塊のうち2つを取って「食べたい!」と主張したが、
「4つあるから、おとうさんも、おかあさんも、●●ちゃん(下の子)も、みんなで分けたいな」とこちらが言うと、
一番大きな桃のかけらを取って、「これにする」と言った。
子どもは、美味しそうに食べていた。

子どもが皮を剥くまでの作業をしている間、私は子どもの様子を見ながら、子どもの登園準備をし(今後子どもにやらせたいと思っているのだが、その環境を整える余裕がなく、今は私がやっている。そろそろ引っ越しを考えているので、引越し先ではその環境を整えたいと検討中)、自分の着替えができた。

朝7:56。
ついに自分で剥いた桃を食べ終わった子どもが、手を洗った。

そこからは怒涛だった。
お母さんと一緒に着替えたい派の子どもに、かけっこの音楽を口ずさみながら服を手渡し、一緒に着ていく。
本当は全部自分でやってほしいが、この際なりふり構ってはいられない。
下着のシャツを頭から被せ、子どもが腕を通す。
制服のシャツに腕を通させ、子どもがボタンを留める。その間に、私が靴下を履かせる。
その後ズボンを履かせて腰まで上げると、子どもがフックを留め、サスペンダー部分に腕を通す。
見事なチームプレー。

朝8:00。
私はぼさぼさだった髪を整えた。
そして下の子を園に送るため、靴下を履かせた。(余談だが、桃を剥いたのは上の子。下の子は保育園に通っている)
一瞬「まだ一緒にいたい!」としょんぼりした上の子をぎゅっと抱きしめ、仕事に向かった。


振り返ると、反省点は色々ある。
でも、子どもと私で、分担して、お互いのやりたいことをやりつつ、予定通りに家を出られたことに、ある種の達成感はあった。
勉強じゃない。
用意した知育でもない。
でも、確実に学べることがあったし、心が通った時間だったと思った。


最後に、余談だが、化粧は会社でした。
マスク文化でよかった、とつくづく思った。